5月の帰国記

2ヶ月が過ぎてしまったが、5月に一週間だけ帰ったので・・・


5月2日(土)
朝早く起きて支度を終えてスーツケースと共に散髪に行くと、どうも僕と同じ時間にダブルブッキングした人がいた模様でスタッフはてんやわんや。やたら長いマッサージをされたりした。Waitroseでお土産を買ってから出社。コンペの作業をしてからガトウィック空港へ。17時半のトルコ航空でイスタンブールを経由して日本へ。18時間ほどの旅。ずっと寝ていた。

5月3日(日)
長時間の缶詰によりぼろ雑巾のような気分で18時ごろ関空に到着。大阪市内にて山ちゃんと落ち合い、2人で居酒屋で飲む。しばらくして外へ出て2件目を探すもここはオフィス街、GWの夜に開いてる店は少ない。タクシーで山ちゃんお勧めのお店へ連れて行かれ、色々とカルチャーショックを受ける。山西家にて就寝。

5月4日(月)
12時ごろに近所のなか卯でご飯を食べてから新幹線で山口に帰郷。新岩国まで向かいに来てくれた母の車で病院に寄る。脳出血で先月から入院している祖母は起きていたが意識は無いようで、目は開いているが何も見ていない様子。一応挨拶をするが無反応。暗い穴に食べ物を投げ入れている感覚になる。それでも投げた方が良いだろう。穴の底には人がいるかもしれないのだ。車も殆ど通らない田舎なので夜は静かかと思いきや、周囲の田圃より数百、数千匹の蛙の大合唱。そういえばこれを聞きながら育ったんだなあと思い出す懐かしい音。

5月5日(火)
時差で朝4時半に起床。最近農業を始めた父と共に5時半に祖父の山に入り、竹の子の収穫をする。

前に竹の子を取ったのは祖父と一緒だったので中学校以来ではないだろうか。両親が共働きだったので、僕は小さい頃は両親の仕事が終るまで祖父の家に預けられており、農作業を手伝ったり山に連れて行ってもらったりしていた。山の中のあの独特の静けさと、柔らかな怖さはとても懐かしい感覚だった。竹の子を取り終えた後は蕗の収穫。山には蝮がいるので気をつけながら蕗の根元を切り取る。収穫物を洗い、ラッピングして特産品売り場に出荷。

一旦帰宅し休憩してから奥の山に入り、柴を収穫。柴っていうとなんか大きな木の薪みたいなイメージがあったけど、実は結構小さな木だった。枝を切り取って綺麗に揃えてまとめる。親戚の大田家に挨拶してから裏山の榊の枝を切り、これも綺麗にまとめてこれらも出荷。柴も榊も墓前や神棚に供える聖なる葉で、実は需要が大きいのだ。最終的に出荷したものは殆ど売れ、3000円ほどの収入だった模様。労働時間に対する収益としてはお話にならないが、趣味としてはなかなか楽しい。

昼食後に昼寝して、15時ごろから畑を耕して畝を作る。蒲鉾型に整えて水はけを良くし、南瓜の苗を植えた。うまく育つと良いが。

夕食の後はタクシーで田布施まで移動し、もっさんの家で小学校以来の幼馴染達と飲む。予想外に色々な人が来てくれて、10人くらいの酒盛りとなった。なんか楽しかったなあ。深夜2時ごろにはっちゃんに送ってもらい帰宅。

5月6日(水)
朝は例のごとく軽く二日酔い。昼ごはんのあと母と宮島へ出かける。コンペの調査を兼ねた旅行。暑くも寒くもない気持ち良い気候で、久々に訪れた宮島の美しさに結構なショックを受ける。小さい頃に何回も行ってるのに、こんな良い所だったんだなーと改めて感動した。名産のあなご飯を買って帰宅。

5月7日(木)
祖母の様子を見に行ってから両親に新岩国まで送ってもらい、15時半に明石高専へ。学校の教員をしている佐伯くんに校内を案内して貰い、17時くらいから海外の事務所の仕事に興味を持っている学生さん達にお話をさせていただく。普通に同業者に話すような内容の話をしたので、まだ16歳とかの子達には少し難しかったかもしれないと思う。僕は外部の者なのでそういうレベルで話をするのも刺激になるかと思って、あえて優しく説明はしなかったのだが、はたしてどこまで伝わったかな。

最後の質疑で「なんで建築家はみんな白い建築を作るんですか?」となかなか良い質問をされて、とっさに「白ってのは抽象性の象徴だから」と言ってしまったが、そんなの高校生が分かるわけもない。建築史でこれからじっくり習うであろう、形や素材に伴う伝統的な意味の否定の話などをしないといけないのかなーと困っていたら、佐伯君が「白だとなんでこの色を選んだのかって説明をしなくていいんだよ」と分かりやすくフォローしてくれて助かった。

18時くらいから佐伯君の車でドライブ。明石の海沿いにある安藤さんの有名な住宅(4x4の家)を初めて近くで見る。綺麗だなぁ。ちなみにこの横に同じ形の家が木造で作られていたのだが、去年くらいに撤去されたらしい。噂によると構造に無理があったとか何とか・・・

19時くらいに神戸の小さな寿司屋で旨い寿司を頂く。久々にカウンターの寿司屋に行った。満腹になった後は佐伯君が改修したバーに移動してワインなどを頂き、23時ごろ彼の家に帰る。築50年くらいのアパートを大家さんの許可の下で改修し、いかにも若手建築家って感じのお洒落な空間に変えている。高専に勤めながらも彼女と一緒にかなりの数の設計の仕事をしているようで、「考え方を変えれば仕事なんて腐るほどありますよ」と笑って言っていたのが印象的だった。格好良いなぁ。

5月8日(金)
朝佐伯君とお別れをしてから明石城を見学。城の裏には県立・市立の2つの図書館があった。豊かな緑に囲まれたRCと煉瓦の綺麗な図書館。トイレの壁まで煉瓦だった。メンテナンスのし易さを優先してどこもかしこもビニール製の仕上げにしてしまう無機質な現代の公共建築とは違い、きちんと作られた昔の建築は温かみがあってとても良い。

夕方に東京に着きメイリくんの事務所に遊びに行く。なんか独特な雰囲気。構造模型の間柱を入れるお手伝いなどをさせて貰い、夕ご飯を皆と一緒にご馳走になったりする。メイリくんは仕事が終らないので僕が一人で先に篠原邸に帰り、ご両親に迎えていただく。先に寝ていると、深夜に帰ってきたメイリ君が「ガイジンの匂いがする」と僕の周囲をクンクン嗅ぎまわっていた。加齢臭ではなく僕の使っている柔軟剤の匂いだと思いたい。

5月9日(土)
朝起きて篠原家で美味しい朝食をご馳走になり、10時ごろ出発。小金井駅で森さんと合流してから江戸たてもの園を見学。前川邸が見たくて行ったのだが、予想以上に色んな住宅が保存してあってとても楽しかった。園内のカフェで食べたハヤシライスも美味しかったなぁ。前川邸は予想以上に小さく、素材なども結構ローコストな感じだけど、全体のプロポーションが良いので締って見える。スタジオムンバイの仕事を見ていても思うのだけど、伝統的なデザイン言語を使いながら、キッチュに陥らずに現代的に仕上げるってのはとても高等なデザイン技術だと思う。森さんは建築の教育は全く受けていないのだが、ここのとこ建築にハマっているようで、この日も前川邸の本を読んでおり色々説明してくれた。完全に僕よりよく知っている。

夕方はワタリウムに移動し、丁度行われていた写真家・冒険家の石川直樹さんと芸術家の奈良美智さんのアイヌ写真展に行ってみる。北海道とロシアに跨る旅で、不思議な民族の日常風景を垣間見れてなかなか面白かったし、ワタリウムのすぐ傍にある塔の家も外から見れてよかった。

19時過ぎに中華屋さんに移動して山大の同級生達と晩御飯。森さんと仕事あがりのメイリ君も合流。相変わらずアホなノリでとても楽しかった。皆に子供が出来たらこういう馬鹿騒ぎも減っていくんだろうなーと想像し、すこし寂しくなったりもする。明らかに俗に言う「ハッテン場」となっている公園で缶ビールを開けて2次会。公園内の公衆トイレに行くのがちょっと恐かった。終電で篠原邸に帰宅。

5月10日(日)
日本最終日。ゆっくり朝食を頂いてから東京蚤の市へ。欧州の蚤の市を真似て始められたマーケットのようで、今年で2回目とのコトだが、本場の蚤の市よりも遥かにお洒落で高級だった。素晴らしく良い天気で、気持ちよい音楽の生演奏の中色々と物色するが、値段があまりに高い。普段チジックで10ポンドもしないようなものが普通に一万円とかで売っている・・・。結局何も買わなかったけど、大勢の友人たちと会えたし、雰囲気が楽しくてとてもよかった。

17時くらいに解散した後はアラヤさん、ユリさん、鴨くん、メイリくんと神保町でカレーを食す。うまし。篠原邸に帰って荷造りを終えて成田へ。今回も楽しい旅だった。