5月の帰国記

2ヶ月が過ぎてしまったが、5月に一週間だけ帰ったので・・・


5月2日(土)
朝早く起きて支度を終えてスーツケースと共に散髪に行くと、どうも僕と同じ時間にダブルブッキングした人がいた模様でスタッフはてんやわんや。やたら長いマッサージをされたりした。Waitroseでお土産を買ってから出社。コンペの作業をしてからガトウィック空港へ。17時半のトルコ航空でイスタンブールを経由して日本へ。18時間ほどの旅。ずっと寝ていた。

5月3日(日)
長時間の缶詰によりぼろ雑巾のような気分で18時ごろ関空に到着。大阪市内にて山ちゃんと落ち合い、2人で居酒屋で飲む。しばらくして外へ出て2件目を探すもここはオフィス街、GWの夜に開いてる店は少ない。タクシーで山ちゃんお勧めのお店へ連れて行かれ、色々とカルチャーショックを受ける。山西家にて就寝。

5月4日(月)
12時ごろに近所のなか卯でご飯を食べてから新幹線で山口に帰郷。新岩国まで向かいに来てくれた母の車で病院に寄る。脳出血で先月から入院している祖母は起きていたが意識は無いようで、目は開いているが何も見ていない様子。一応挨拶をするが無反応。暗い穴に食べ物を投げ入れている感覚になる。それでも投げた方が良いだろう。穴の底には人がいるかもしれないのだ。車も殆ど通らない田舎なので夜は静かかと思いきや、周囲の田圃より数百、数千匹の蛙の大合唱。そういえばこれを聞きながら育ったんだなあと思い出す懐かしい音。

5月5日(火)
時差で朝4時半に起床。最近農業を始めた父と共に5時半に祖父の山に入り、竹の子の収穫をする。

前に竹の子を取ったのは祖父と一緒だったので中学校以来ではないだろうか。両親が共働きだったので、僕は小さい頃は両親の仕事が終るまで祖父の家に預けられており、農作業を手伝ったり山に連れて行ってもらったりしていた。山の中のあの独特の静けさと、柔らかな怖さはとても懐かしい感覚だった。竹の子を取り終えた後は蕗の収穫。山には蝮がいるので気をつけながら蕗の根元を切り取る。収穫物を洗い、ラッピングして特産品売り場に出荷。

一旦帰宅し休憩してから奥の山に入り、柴を収穫。柴っていうとなんか大きな木の薪みたいなイメージがあったけど、実は結構小さな木だった。枝を切り取って綺麗に揃えてまとめる。親戚の大田家に挨拶してから裏山の榊の枝を切り、これも綺麗にまとめてこれらも出荷。柴も榊も墓前や神棚に供える聖なる葉で、実は需要が大きいのだ。最終的に出荷したものは殆ど売れ、3000円ほどの収入だった模様。労働時間に対する収益としてはお話にならないが、趣味としてはなかなか楽しい。

昼食後に昼寝して、15時ごろから畑を耕して畝を作る。蒲鉾型に整えて水はけを良くし、南瓜の苗を植えた。うまく育つと良いが。

夕食の後はタクシーで田布施まで移動し、もっさんの家で小学校以来の幼馴染達と飲む。予想外に色々な人が来てくれて、10人くらいの酒盛りとなった。なんか楽しかったなあ。深夜2時ごろにはっちゃんに送ってもらい帰宅。

5月6日(水)
朝は例のごとく軽く二日酔い。昼ごはんのあと母と宮島へ出かける。コンペの調査を兼ねた旅行。暑くも寒くもない気持ち良い気候で、久々に訪れた宮島の美しさに結構なショックを受ける。小さい頃に何回も行ってるのに、こんな良い所だったんだなーと改めて感動した。名産のあなご飯を買って帰宅。

5月7日(木)
祖母の様子を見に行ってから両親に新岩国まで送ってもらい、15時半に明石高専へ。学校の教員をしている佐伯くんに校内を案内して貰い、17時くらいから海外の事務所の仕事に興味を持っている学生さん達にお話をさせていただく。普通に同業者に話すような内容の話をしたので、まだ16歳とかの子達には少し難しかったかもしれないと思う。僕は外部の者なのでそういうレベルで話をするのも刺激になるかと思って、あえて優しく説明はしなかったのだが、はたしてどこまで伝わったかな。

最後の質疑で「なんで建築家はみんな白い建築を作るんですか?」となかなか良い質問をされて、とっさに「白ってのは抽象性の象徴だから」と言ってしまったが、そんなの高校生が分かるわけもない。建築史でこれからじっくり習うであろう、形や素材に伴う伝統的な意味の否定の話などをしないといけないのかなーと困っていたら、佐伯君が「白だとなんでこの色を選んだのかって説明をしなくていいんだよ」と分かりやすくフォローしてくれて助かった。

18時くらいから佐伯君の車でドライブ。明石の海沿いにある安藤さんの有名な住宅(4x4の家)を初めて近くで見る。綺麗だなぁ。ちなみにこの横に同じ形の家が木造で作られていたのだが、去年くらいに撤去されたらしい。噂によると構造に無理があったとか何とか・・・

19時くらいに神戸の小さな寿司屋で旨い寿司を頂く。久々にカウンターの寿司屋に行った。満腹になった後は佐伯君が改修したバーに移動してワインなどを頂き、23時ごろ彼の家に帰る。築50年くらいのアパートを大家さんの許可の下で改修し、いかにも若手建築家って感じのお洒落な空間に変えている。高専に勤めながらも彼女と一緒にかなりの数の設計の仕事をしているようで、「考え方を変えれば仕事なんて腐るほどありますよ」と笑って言っていたのが印象的だった。格好良いなぁ。

5月8日(金)
朝佐伯君とお別れをしてから明石城を見学。城の裏には県立・市立の2つの図書館があった。豊かな緑に囲まれたRCと煉瓦の綺麗な図書館。トイレの壁まで煉瓦だった。メンテナンスのし易さを優先してどこもかしこもビニール製の仕上げにしてしまう無機質な現代の公共建築とは違い、きちんと作られた昔の建築は温かみがあってとても良い。

夕方に東京に着きメイリくんの事務所に遊びに行く。なんか独特な雰囲気。構造模型の間柱を入れるお手伝いなどをさせて貰い、夕ご飯を皆と一緒にご馳走になったりする。メイリくんは仕事が終らないので僕が一人で先に篠原邸に帰り、ご両親に迎えていただく。先に寝ていると、深夜に帰ってきたメイリ君が「ガイジンの匂いがする」と僕の周囲をクンクン嗅ぎまわっていた。加齢臭ではなく僕の使っている柔軟剤の匂いだと思いたい。

5月9日(土)
朝起きて篠原家で美味しい朝食をご馳走になり、10時ごろ出発。小金井駅で森さんと合流してから江戸たてもの園を見学。前川邸が見たくて行ったのだが、予想以上に色んな住宅が保存してあってとても楽しかった。園内のカフェで食べたハヤシライスも美味しかったなぁ。前川邸は予想以上に小さく、素材なども結構ローコストな感じだけど、全体のプロポーションが良いので締って見える。スタジオムンバイの仕事を見ていても思うのだけど、伝統的なデザイン言語を使いながら、キッチュに陥らずに現代的に仕上げるってのはとても高等なデザイン技術だと思う。森さんは建築の教育は全く受けていないのだが、ここのとこ建築にハマっているようで、この日も前川邸の本を読んでおり色々説明してくれた。完全に僕よりよく知っている。

夕方はワタリウムに移動し、丁度行われていた写真家・冒険家の石川直樹さんと芸術家の奈良美智さんのアイヌ写真展に行ってみる。北海道とロシアに跨る旅で、不思議な民族の日常風景を垣間見れてなかなか面白かったし、ワタリウムのすぐ傍にある塔の家も外から見れてよかった。

19時過ぎに中華屋さんに移動して山大の同級生達と晩御飯。森さんと仕事あがりのメイリ君も合流。相変わらずアホなノリでとても楽しかった。皆に子供が出来たらこういう馬鹿騒ぎも減っていくんだろうなーと想像し、すこし寂しくなったりもする。明らかに俗に言う「ハッテン場」となっている公園で缶ビールを開けて2次会。公園内の公衆トイレに行くのがちょっと恐かった。終電で篠原邸に帰宅。

5月10日(日)
日本最終日。ゆっくり朝食を頂いてから東京蚤の市へ。欧州の蚤の市を真似て始められたマーケットのようで、今年で2回目とのコトだが、本場の蚤の市よりも遥かにお洒落で高級だった。素晴らしく良い天気で、気持ちよい音楽の生演奏の中色々と物色するが、値段があまりに高い。普段チジックで10ポンドもしないようなものが普通に一万円とかで売っている・・・。結局何も買わなかったけど、大勢の友人たちと会えたし、雰囲気が楽しくてとてもよかった。

17時くらいに解散した後はアラヤさん、ユリさん、鴨くん、メイリくんと神保町でカレーを食す。うまし。篠原邸に帰って荷造りを終えて成田へ。今回も楽しい旅だった。

wandering for days

ようやくパリ旅行を書き終えた、というか切り上げたが完全に現実に追いついていない。記憶が怪しいが書けるトコだけ書いておこう。

3月21日(土)
テニスの後、夕方からアラヤさんの送別会。夫妻を見送りに大勢の人が集まる。プレゼントも気に入って貰えたようでよかった。

3月22日(日)
昼前に起床。やや二日酔い。昼過ぎに歩いてHRNさんの家に行き、初めてのフィッティング。ビスポークのジャケットを作っているので僕には合ってるのかどうか分からないが、HRNさんは数ミリ単位で色々調整していた。終了してからHRNさんと奥さんのJNYとカフェでお茶。帰りにハムステッドを一人で散歩していたらばったりリカさんに会ったりする。

3月28日(土)
家の掃除などして出社。コンペのリサーチ。たしかこの日から夏時間になったはず。

3月29日(日)
昼からコンペのキックオフミーティング。AAスクールで勉強中のMZEさんも遊びに来る。Euston駅前のwellcome collectionのカフェで会議していたのだが、どうも建物が改装されていたぽいので終了後に皆で探検。3階にあがると可愛いレストランがあり、かなり格安でアフタヌーンティーができるのを発見。女性陣の顔つきが変わったので皆でそのままお茶。お菓子は英国の普通のアフタヌーンティーより小さめだけど、日本人にはこれで十分。とても美味しかったし安い。オープンして2,3ヶ月らしいけど、この辺りでお洒落なカフェはないの良いところを発見した。

4月1日(水)
山口県の公式ツイッターが「山口県は日本国より独立しました」とツイートしたのをFacebookで山口の友人達が大いにシェアしていて和む。

4月3日(金)
イースター休暇。僕は特に予定はなくロンドンで過ごす。家の掃除をしてから出社。コンペの作業。

4月4日(土)
13時にHampsteadでアムステルダムからロンドンに遊びに来たJNさんと落ち合う。ベルギー旅行で会って以来なので約一年ぶりか。元気そうで何より。Takさんも合流し3人でカフェで話し、Willow Roadを見学し、Tate Modernを訪れ禍々しいポートレートの展示を観てぐったりしたりする。JNさんを見送ってからTakさんと2人でBelgoにてムール貝を食す。うまし

4月5日(日)
友達とTate Britainの展示に行く予定だったが、体調不良でドタキャンになってしまい家で過ごす。

4月6日(月)
HRNさんの家で2度目のフィッティング。全体像が見えてきた。こんな感じ。

ほぼHRNさんの読みどおりのジャストフィットだったらしく、あとは微調整だけ。次が引渡しとなる。楽しみー

フィッティングのあとはTakさんを誘ってBelsize Park駅前のGAILSで昼食。パンが美味しい。
電車に乗ってTottenham Ct rdで降りて会社に向かうHRNさんとお別れし、Takさんと2人でふらふらする。久々に大英博物館でも行ってみますかということで、たまたまやっていたギリシャ彫刻展に行ってみる。大理石の人物像は暗い空間のなかで柔らかな光に当てられ、陰影がとても美しかった。リチャード・ロジャースが手がけた新館の展示空間を使っており、建築的にも面白かったが残念ながら撮影禁止だった。夕食はPUNJABでカレー。美味しくてバクバク食べ、吐き気がするほど腹一杯になる。

4月11−12日(土日)
金曜の時点で喉に違和感があったが、仕事を終えた20時半ごろはフラフラになってしまう。これはおかしいと思いつつ帰宅しシャワーを浴びてすぐに寝るが、土曜の朝にベッドから出ようとした時点でフラついてしまう。久々に喉、鼻水、くしゃみ、熱、頭痛というオールスターが勢ぞろいした完璧な風邪。両日とも予定があったのだがキャンセルして家で過ごす。ここ数年ここまで完璧な風邪はなかったので、たまにはこういう時があったほうが健全だろうとかポジティブに考える。

パリ旅行3日目 ルイ・ヴィトン財団美術館見学

15日(日)
パリ最終日。朝10時頃にホテルをチェックアウトし、Les Sablons駅から少し入った森の中を歩いているとこんなものが見えてくる。

今日のメインのルイ・ヴィトン財団美術館(Fondation Louis Vuitton)。事前にほとんど何も知らず行ったのだが、ヴィトンの歴史を展示する場所かと思いきや完全に現代美術の展示空間だった。設計はいわずと知れたフランク・ゲーリー大将。いつも通りメチャクチャな形してる。これの図面描けって言われたら逃げ出すな僕は。

開館20分前に着いたのに既に長蛇の列で、一時間近く待ってようやく入場。すごい人気だ。
賛否両論の建物だけど、個人的にはとても良かったと思う。まー例のごとくハリボテ建築で、内部の機能と外部の形態が一致していない。Form follows functionという機能主義の立場からすると完全にアウトなんだけど、建物と屋根の間のテラスの回遊性が楽しくて、僕は単純に面白いと思った。

シンプルで機能的にまとめられた展示空間を出ると自然に外のテラスに出てみたくなるし、テラスに出ると階段があって上りたくなる。階段を登ると新しい展示空間が見えて入ってみたくなる。フラフラと見ると内部と外部を交互に回遊するように仕組まれていて、でもピンポイントで展示を見たければ最短距離で回ることも出来る。ゲーリーの建築は実は非常に使いやすいって話を聞いてたけど、なるほどそれは良く分かった。

僕は絶対にこういう設計はやらないけど、これはこれで一つの道だなー。

あと非常階段が良かったな。ここは唯一外壁のぐにゃぐにゃの構造が表現として現れている。


満足して美術館を後にする。昼からはPalais de Tokyoなどを見学したが3日間の建築漬けでガス欠気味。早めに駅に向かい、夕方のEurostarでロンドンへ。充実の建築旅行だった。

パリ旅行2日目 カレ邸見学

14日(土)
ホテルの壁が薄く、左隣に宿泊している日本人の女の子達の話も聞こえるし、右隣のカップルの夜の営みも筒抜けという漫画のような状況に深夜まで悩まされるも朝8時に起床。ホテルで食事を摂ってからモンパルナス駅でMTOさんと合流。今日の目標はAlvar Aaltoが設計したカレ邸(Maison Louis Carre)の見学。こちらも一般公開はしていないので事前にメールでの予約が必要。
Maison Louis Carré

この家は非常に田舎にあるのでバスを一本乗り過ごすと大変なことになるのでドキドキ。とても行きにくい場所にある住宅だけど、行き方を丁寧にまとめている方がいて大変参考になりました。
http://marukun.jimdo.com/%E3%82%AB%E3%83%AC%E9%82%B8%E3%81%AE%E8%A1%8C%E3%81%8D%E3%81%8B%E3%81%9F/

駅でチケットを購入し、近郊列車RER Cで終点のSaint-Quentin-en-Yvelinesまで向かい、本数の非常に少ないバスを待っていると向こうからやってくる3人組にMTOさんが「わー」と反応。同じ事務所の同僚達がたまたま同じ日に見学に行くことになっていたのだ。5人になった我々一行は色々話しながらバスへ乗り込み30分ほど田舎道を揺られる。バスの運転手は(当然のように)英語が通じず、僕達が行きたかった住宅をMaison Jean Monnetと勘違いしていたようだが、カレ邸とJean Monnet邸は隣接しており事なきを得る。ちなみにJean Monnet氏はEU統合の父とされる政治家で、カレ邸の隣の家に住んでいたようだ。

白いフェンスでできた入り口を抜けると緩やかなカーブが美しいエントランスアプローチが続く。

雑木林を抜けるとカレ邸が佇んでいる。

アートディーラーとして大成功した実業家であったCarre夫妻の自邸として建設され、夫妻が大ファンだったアアルトがフィンランドより足を運んで設計を進めた。ワイン畑であった敷地の緩やかなスロープに従った傾いた屋根を持つ住宅は見る角度によって印象が全く違う。

雨樋も彫刻的に扱っていてカッチョイイが、しかし設計期間は僅か半年しかなく、時間がタイトだった為に住宅のディテールの大部分はアアルトが既に他のプロジェクトで使ったデザインの転用となっているようだ。

現在この建物はアアルト財団が管理しており、内部は全面的に改修されオリジナルの状態になっている。照明や家具も全てアアルトデザインのもので、まさにアアルト尽くしといった感じ。しかし形容しがたい「あれ?」という感覚が自分の中では残った。どれもきちんとデザインされ(特に外観は文句なし)、とても素敵な家だとは思うのだが、内部の空間には突き抜けたモノが無いようにも思えた。クライアントであるカレ氏が足が悪く、あまり段差を作れなかったというのも一因かもしれないが、名建築に特有のふわりとした回遊性が感じられなかった気がする。まあこれは個人的な感想だけど。

とはいえ総合的には大満足で見学を終え、本を物色し購入。それから帰りのバスに向かおうとすると、発車まで5分しかないことが判明。家からバス停までは走っても5分以上はかかる。しかもこのバスを逃すと次のバスは2時間後。困ったなーとツアーガイドのおばさんに相談すると、「急いで私の車に乗りなさい!」といって僕達を乗せてバス停まで車を飛ばしてくれる。とっても親切な方で大感謝。お陰で何の問題もなくバスと電車を乗り継ぎパリに帰還。

折角なのでということで5人で飲みに行く。しばらく飲んでいるとMTOさんの友人で日本からフランス旅行にやってきたNAOさんが合流。パリらしく道端で皆でわいわいと楽しんでいると、散歩中の犬がベロベロしてきたりした。

22時頃解散となり、僕、MTOさん、NAOさんはタクシーでMTOさんのお宅へ。広く綺麗な自宅でパスタとワインをご馳走になり、すっかり酩酊して24時過ぎに地下鉄でホテルに戻る。

パリ旅行1日目 ガラスの家見学

3月13日(金)
朝8時半出発のユーロスターでパリへ。2時間半ほどうとうとしていたら昼12時到着(一時間時差がある)。
Liege駅そばにあるホテルにチェックイン。ビジネスホテルといった感じ。
フラフラと市内を歩いて昼ごはんを食べ、コーヒーの美味しさにビビる。イギリスのコーヒーとは比べ物にならない。15時半にパリの建築事務所に勤務しているMTOさんと合流し、ピエール・シャロー(Pierre Chareau)設計のガラスの家(Maison de Verre)の見学へ。ちなみにここは一般公開されていないので、事前にメールで見学を予約する必要がある。予約のメールアドレスなどはこちらのサイトに書いてあるので興味がある方は読んでください。ちなみに入場料は40ユーロと非常に高額ですが、その価値はあります。
How to Visit the Maison de Verre in Paris | Untapped Cities

表示されたアドレスは普通の住宅街の扉の前で通り過ぎそうになったが、アメリカの大学から来た建築ツアーの人達がたむろしていたので分かった。時間ぴったりに扉が開き、ツアーガイドの女性に案内されて中庭に入るとお馴染みのこの景色。

うーん格好良い。壁全面をガラスにした住宅というのはこれが世界初の試みのようで、工場の床の為に作られたガラスブロックを垂直方向に転用したそうだ。ちなみに黒い細いフレームは改修で加えられたもので、もともとはコンクリートで作られていたとのこと。裏庭に面したファサードは屋根で守られているので現存しているが、正面のファサードは風雨によってガラスもコンクリートも痛んだ為全面的に作り直しているそうだ。

ガイドの女性はパリの大学で博士課程に在籍しており、このガラスの家のトイレ周りのデザインについて論文を書いているので当然非常に厚い知識を持っている。赤痢など疫病が蔓延していたので、床を全てラバーで仕上げて水洗いができるようにしていたなど、家が建てられた20世紀初頭の歴史的背景や、シャローの生い立ち、当時の交友関係など交えて面白く解説してくれた。

一階は医者であったクライアントの診療空間、2階がリビング、3階はベッドルーム、横にお手伝いさんの部屋という構成。個人が所有する住宅なので残念ながら内部は撮影禁止だったが、素晴らしい空間だった。メインリビングルームは全面ガラスブロックで外への視界が全くないので、やや閉塞的な空間なのかなーと予想していたが、書斎を通して裏庭の緑に対して視線が抜けているので圧迫感はほとんど感じなかった。こういう細やかな配慮はやはり写真で見るのではなく実際に体験してみないと分からないな。

(ネット上の画像を拝借)

90分ほどの濃密なツアーを終え、静かな光に満ちた住宅を大満足で後にする。MTOさんは仕事へ戻り、僕は夜まで気になっていた建物を駆け足で回る。


スイス通りのアパート/Herzog & de Meuron
ここは中に入れなかったので評価は難しい。外から見ただけじゃ建築の本質は分からん。


Pathé Foundation/Renzo Piano
建物全体のツアーが土曜の夕方にあるのだが、僕が連絡した時はすでに一杯で参加できなかったのでギャラリー部分のみ自分で見学。ディテールは相変わらず綺麗だったけど、これはちょっと自己満足な気がする。最上階のオフィス部分が一番見所だと思うがそこに入れていないので最終的な評価はできないけど、あまり好きじゃない感じ。ギャラリー部分には外見のダイナミズムはほとんど反映されてないし。

一旦ホテルに戻り、坂事務所近くで落ち合う為にポンピドゥーセンターへ。何度見てもぶっ飛んでいる。建物本体だけでなく前面の広場も含め、これはちょっと次元の違う格好良さ。

20時半くらいに合流し、MTOさんおススメの可愛いレストランで美味しいgaletteとサイダーを頂く。仕事のことや将来のことなど話して24時くらいに解散。

採寸

3月6日(金)
ここ数日はボスがバハマに出張中なのでゆったりしている。会社のあるSohoは各地で再開発が行われているが、建て替えの際のつっかえ棒はアクロバティックで時々笑えてくる。欧州の建物はお互いくっつきあって構造を持たせているので、真ん中の建物を建て替える際はこのようにつっかえ棒をいれないと両側の建物が崩壊するのだ。最初見たときは「こんなんで大丈夫なの!?」と驚いたものだった。

3月7日(土)
何故かあまりうまく眠れず、朝7時前に目が覚めてしまう。10時ごろ二度寝して13時起床。15時からInslingtonのテニス場にてテニス。3時間くらい動いてからパブでビール。しかしそこのパブはライブハウスも兼ねていて、しばらくするとデスメタルな演奏が始まったので慌てて退散。結局Kentish Townまで歩いてThe Oxfordという僕の気に入っているパブでご飯。22時ごろ解散。

3月8日(日)
朝11時に家を出て30分ほど歩きBelsize Parkの西の方にあるHRNさん夫妻のお宅へ。近所に住んでいるTakさんと一緒にお邪魔する。芸能人も多く住んでいるという閑静なエリアにある素敵な自宅だった。彼にビスポークのジャケットを作ってもらうことにしたので、お茶をいただきながらポケットやボタン、裏地などを決めてから僕の体の採寸をしてもらう。今日の採寸をベースにパターンを起こし、仮縫いを経てから縫い上げるのだが、彼は基本的にミシンを使わずに手縫いで仕上げるので、完成は2〜3ヶ月先になる。とても楽しみ。

自宅の作業部屋を見学させて頂いたが、布を切る大きなハサミが格好良くて驚いた。下のほうは100年以上前に造られたものらしく、HRNさんも含め代々のテーラーが磨き上げながら大事に使い続けているので、当初よりも刃先が随分小さくなっているのだとか。魂が籠もってる感じがするなぁ。

作業が終ってからは近所にあるパブThe Washingtonでゆっくりサンデーローストを頂く。非常に美味。

昼食後はバスで市内へ移動し、センターをウロウロして少し買い物。ピカデリーをうろついている所をどうやらマキコさんに目撃されていたようだ。16時半に終わり、夕食には少し時間が早かったので特に目的なくNational Galleryへ行ってみる。ルーベンスやゴッホ、ダヴィンチなどの作品をふらっと暇つぶしに見れるのだから、改めて考えるとすごいことだ。

18時前に建物を出ると、丁度夕日が美しい時間だった。真冬は16時で真っ暗になっていたのだが、最近は随分日が伸びてきて嬉しい。

夕食は新しくできたケンブリッジサーカス付近のEat Tokyoを試してみようかと思ったが、店の外に張られてあるメニュー表などが僕らの予想を上回るチープな匂いを放っていたので今回は様子見。結局一風堂へ。こんなもん旨いに決まっている。

平日

3月1日(日)
13時過ぎからFinsbury ParkにてSくんとヤナギ姉さんとテニス。ほどよく汗をかいてからパブに移動しようとするも、サッカーがあったのかどこも満杯。結局近くのSくんの家に遊びに行く。Sくんはリサちゃんの家に居候しているので、丁度帰宅していたリサちゃんも一緒に飲みながら色々話す。22時頃帰宅。

平日はベネチアを進めながらポテンシャルプロジェクトの準備にかかる。
水曜日の昼は久しぶりにARUPへ。うちのボスがAA時代に開発したソフトを基にちょびちょびと自社開発を続けているソフトがあるのだが、開発をARUPに協力して貰えることになったのだ。僕が担当している訳ではないが、建物の設計だけやってると馬鹿になってしまうので、できるだけミーティングには顔を出させて貰うつもり。グラスホッパーとガラパゴスで随分と色んなことができるもんだ。

昨夜はAAスクールでBIGのレクチャーがあったので行ってみたが、セキュリティーのおっちゃん曰く300人以上という超満員で会場は締め切り、それでも何とか入る隙を探そうと会場入り口に学生が20人くらい押し合いをしているというカオスな状態だった。スーパースターだ。僕はそこまでファンでもないので本屋に寄ってから帰宅。