Whitby

朝5時半に起床。眠し・・・。頑張って起きて7時発のコーチに乗り込み、Leedsで乗り換えて一路Whitbyへ。11時半到着。なんと4時間半もかかっていた。Whitbyはヨークシャーの東海岸にあるリゾート地。ホテルに荷物を置いてまずは飯へ。イギリスで港町に来たら、それはやはりFish & Chipsでしょう。風が強く寒いが、天気は良かったのでテイクアウェイで買ってビーチへ向かう(ちなみにテイクアウトという言葉はアメリカ英語で、イギリス人は「下品だ」と言って使いません)。

ショムションが敷物を持ってきていたので、海岸の後ろに座って食べ始める。行列の店だけあってカリカリでとても美味しい。砂はとても目が細かく綺麗だし、日差しは結構強かったので気持ちよかったが、しばらく食べていると風がますます強くなり、吹き飛ばされた砂がどんどん食べ物に付着する事態になり慌てて退散。高台に上り、ミネラル豊富になってしまった揚げ物をジャリジャリ食らう。泳げる温度ではないが、折角だから海につかろうということで裸足で海岸を歩くが、5分もしないうちに引き上げる。まだ8月なのに、踝まで水につかったら体の芯まで冷えてしまった。イギリスで泳げる日は年に10日もないだろう。

此処は完全に休養に来ただけで、特にすることないので町並みや蟹釣りの模様をスケッチしたりする。小さな町だが斜面に沿って入り組んだ作りをしており、歩いていてもなかなか飽きない。良い集落だ。夕食は海の見えるレストランでやはり海鮮。

飲みながら彼と話していると大抵は建築におけるリージョナリズムについてになる。「○○らしい建築をつくろう」というアプローチでは、せいぜいポストモダニスト達がやった薀蓄の記号建築にしかならない。「○○らしい」という時点でフェイクでしかないのだ。本当に本質的な地域性のある建築をつくろうとするなら、矛盾しているようだが設計者としては無意識下にある地域性というか、自分の体の奥に刻み込まれた地域性なるものに期待する他ないのではないだろうか。うまく言葉にできないが、意識してしまうと偽物になる気がするのだ。それともこれはあまりに楽観的な考えなのだろうか。