通常業務再開とニャンまげ的地域主義

折角の週末は風邪をひいてしまった。まあコンペで無理してたから仕方ない。基本的に寝る。しかしあまりに良い天気だったので月曜は厚着して少し散歩に出てみる。ロンドンを一望できるPrimrose Hillまで歩いてみる。30分ほどだった。最高の気候だったが風が強く、本を読んでいると寒くなったので小一時間で撤退。

コンペも終わり、通常業務再開の火曜はロンドンでは珍しく土砂降りに近い雨の中を朝から東ロンドンへ。今日から住宅の設計にかかるので、まずはその敷地周辺を歩いてみる。かなりラフだがやりようによっては面白くできる予感。昼前にボスとミーティング。うちのボスは自分で案を作ってから部下に渡すタイプではなく、基本的には最初のスケッチもこちらに任せられる。そして同じことはやらない主義。昼食後からスタディにかかり、19時ごろひとつ出来たので見せてみる。本来予定している床面積の1/3ほどをVoidにするというかなりラディカルな案で、ダメかなーと思ったけど予想外にかなり好印象。犠牲を払う代わりに、敷地条件を踏まえたかなり面白くて筋の通った空間にできるので良さそうだとのこと。改修なのでできることは限られているが、色々オプションを話し合い、この方向でしばらく進めてみることに。

たまに地元に帰ったときとか、設計をやってない友達とかから「もっとその地域に相応しい、地域性のある建築の方がいいんじゃない?」と言われることがある。大筋では賛成なのだが、でも建築における地域性というものは、安易に触れると火傷する領域なのだ。表層的な面、造形的な意味での地域性というものを短絡的に建築の設計に取り入れようとすると、土着的な雰囲気があるだけのキッチュな建築が出来上がる。極端に言えば日光江戸村みたいな建物ができる。批判的地域主義という言葉が具体的に指すものは僕にはよく分からないが(というか誰にも分かってないんじゃなかろうか)、日光江戸村的な地域主義を批判している言葉であることは分かる。現代の建築は現代の表現を元に成り立つべきだと思う。

僕としてはノスタルジーに浸るのではなく、まずは敷地の日照条件、周囲の交通状況、視界の抜け方、風の通り方、そしてクライアントの生活スタイルといった比較的ソリッドな条件を踏まえ、それに対応した設計をすること。そういった局所的な地域性を丁寧に設計に生かすことで、その延長線上として地域に向き合えるのではないかと思っているのだが・・・でも一般の人は結局ニャンまげのほうが分かりやすいから好きなのかな〜。

まあともあれ、100年前の人が見ても、100年後の人が見ても心を動かされるような、単純で力強いものがつくりたいものですね。風船太郎のような。