土日 天気が良い

26日(土)
朝起きるとめいりくんは既に家を出ていた。14時のShariに参加しようと準備を始めたが、どうも体がダルイので家にいることに。そんなに酷くはなかったのだが、何故かShariでは僕が死にかけの重態であるかのように話されていたようだ。ピンピンしてますよ。

27日(日)
少しダルさは残るが回復。早朝は大雨だったが、布団を出る頃には雲ひとつ無い快晴になっていた。朝ごはんをBermondsey Streetに最近できたカフェで食べる。パンケーキは美味しかったが、ちょっと量が少なかったな。食後は隣接するWhite CubeにてAntony Gormleyの「model」と題した展示を鑑賞。人の形を抽象化した作品で有名な彫刻家だが、ここでは人の形をBoxの集合体に変換した作品達が展示されている。スタディの模型たちが大量に並べてあるのはなかなか圧巻だった。見る角度によっては抽象的で格好良いオブジェクトに見えるのだが、人が足を上げている姿だと分かった瞬間になんだか恥ずかしくなってしまう。この恥ずかしさは何なのだろうと不思議に思った。

建築家は基本的に造形が人の顔や形に似るのを避けようとすると思うが、あれはなんでだろう。何故僕達は、自分の作る建築が人の形と似ると嫌なのだろう。最近調べたとある民族では、伝統建築の柱や梁などの家の部材はそれぞれ人の体の部位(顔や肋骨など)として例えられ、把握されていた。普通に考えれば、人の体は植物などと同じくらい造形のモチーフになりやすい身近な存在だと思うのだが。無意識のレベルで「現代建築は抽象化しなければならない」と思っているのであれば、それが良いのか悪いのかはともかく、結構深刻なモダニズム・シンドロームな気もするなぁ。

とまれ、この展示の目玉は内部に入れる超巨大な鉄の人型。部位だけを見れば完全に現代建築なのだが、これが全体としては人の形っていう事にとても違和感を覚える。人をモチーフにする必要性は何なのだろう。しかし逆に言えば、人型を避ける必要性もないはずだ。よく分からないが、なんだか腹の底に押し込まれたコンクリートのような違和感を抱えながらギャラリーを後にする。


(c)White cube

12時半ごろ事務所へ。作業をしつつ打ち合わせの準備を進め、17時にニュージーランドのプロジェクトの打ち合わせ@うちの会議室。僕とTakさんはまさかのカブリで、同じようなL字型になっていた。効率的に納めようとするとこうなるのは間違いなさそうだ。コミサンは分棟型でやっていたが面積を納めるのに苦戦している様子。アラヤさんはアプローチなどの演出を丁寧に考えていて勉強になった。とりあえずL字型はこのまま進めても形になりそうなので置いておいて、2週間後の次のミーティングまで他の可能性を探ってみることに。話し合いは2時間きっかりで終了。効率的でプロダクティブなミーティングだった。

(c)Tak Ishii

晩飯はBone Daddyにてラーメン。ここはT22という醤油ラーメンが一番旨いように思う。