4月第一週

今週は月曜が休みだったので少し早く終わった感じ。木曜にミーティングがあった以外は特にイベントも無く平和に過ごす。しかし夏時間になったというのにアホみたいに寒い。木曜とか吹雪だったし。

ロンドン市のサイクリング・スキームを使った自転車の手続きは順調に行きそう。しかし思ったよりもシステムが複雑だった。割引があるということになっているが、正確には自転車自体に割引はないのだ。形としては、事務所がまず自転車を定価で購入し、それを僕に貸し与えることになる。その分の値段が数ヶ月に分割されて僕の給料から差し引かれる。事務所が全てのお金を取り戻した時点で、ようやく自転車は僕の私物になる。事務所としては僕の給料を少なくすることで自転車分の値段を取り返すことができるわけだが、ここで重要なのが僕のGrossの給料が少なくなるという点。つまり収入総額が減るので支払う税金も安くなるのだ。それにより普通に自分のお金で自転車を買うよりも、自分が最終的に払うお金は少なくなるというわけだ。給料と自転車の値段によってその額が違ってくるのだが、最終的に僕の場合32%ほどの割引に相当する。これはかなり大きい。
うまくいけば来週には自転車が手に入るはず。楽しみだ。

金曜にようやく仕事が一区切り。来週からコンペを行う予定。夜Takさんから電話があり、Takさんの高校からの同級生タケダさんと一緒に晩御飯へ。お二方とも実は帰国子女で、Takさんはアメリカ、タケダさんはインドネシアで幼少期を過ごされているのだが、福建チャーハンを食べながらタケダさんのインドネシア語のドラえもんで一頻り笑わせて貰った。念のためYouTubeでチェックすると、確かに「はーい、タケコプター!」が、「はーい、バリンバリンバンブー!」になっていた。バリンバリンバンブーて!哀愁漂う響きだ。

4月6日(土)
朝10時半起床。ゆっくりブランチしてからバスでセンターへ。前回は閉まっていて入れなかったマッキントシュのコートを見にお店に行ってみる。イギリスで軍用に使われていた防水コートのメーカーで、世界中で売られているのだが自前の店舗は世界で2店舗、ロンドンに一つと東京に一つしかないようだ。ロンドンの本店(?)はびっくりするぐらい小さく、間口は3mもないと思う。ドアは基本的に鍵がかかっており、お店の人に開けてもらって入ることになる。客は僕一人で、女性の店員が親切に色々教えてくれた。クラシカルなコートはシルエットも素材も素晴らしいと思うのだが、しかし如何せんサイズがない。僕はチビガリなため、EUのスタンダードのなかで最も小さいサイズである36でも少し大きいのだ。日本店では多分小さいサイズを扱っているので、東京のお店に行ってみて頂戴と言われて退散。

そのまま近くのコミサンの事務所へ向かいShairiに参加。ゲームを作るプロジェクトの話し合いと、読書会が終わったあたりでお先に失礼しSouthbank Centreへ。ミドリーヌと落ち合い、19時半よりロンドンフィルのCarmina Buranaを聴く。イツカちゃんの代打で行くことになったので何の予備知識もなかったが、確かに聞いたことのある有名な曲だった。合唱団の人数が多すぎるため、人件費が高くつくのでなかなか上演されない曲らしいが、その分迫力のある演奏だったように思う。クラシックは全然知らないのだが、また機会があれば行ってみたい。月曜に帰国するミドリーヌにとっては、ロンドン最後のコンサート。楽しんでいたようなので良かった。日本でまた遊びましょう!

4月8日(日)
朝10時起床。吹雪だった木曜から徐々に寒さは和らぎ、今日はかなり暖かい。天気も快晴とはいえないが悪くない。特に予定も無く、久しぶりにゆったりした気分。朝は相変わらずネットの調子が悪いので、近所のCafeで朝食を摂りながらアイパッドでメールなどこなす。あと飛行機を予約する。月末にクボCを訪ねてシチリア島に遊びに行ってくるのだ。

昼頃バスに乗って移動し、Regent Parkへ散歩に行って見る。久しぶりの陽気なので、公園は子供連れやカップルで賑わっていた。ベンチに腰掛け、漱石の作品をいくつか読む。「我輩は猫である」で小説家として華々しくデビューした漱石だが、猫を発表する前からエッセイなどはいくつか書いて、友人のやっている雑誌に寄稿したりしていたようだ。ロンドン留学時代に書いた「倫敦消息」を読むと、無名作家だった当時から圧倒的な文才を発揮していたことがよく分かる。金が無いため貧民街のオンボロの下宿で寒さに震えたり、知ったかぶりをするオバサンにいびられたり、下宿先が破産して夜逃げするのにまきこまれたりという悲惨な日々が綴られているのだが、自分の身に降りかかる悲劇を他人事のように面白おかしく書いてあり、つい笑ってしまう。チャップリンが「悲劇は一歩ひいて眺めれば喜劇になる」といったそうだが、まさにそんな感じだ。漱石自身は勿論心から貧しい境遇を楽しんでいたわけではなく、最後は神経衰弱に陥ってしまうわけだが、悲惨な状況をこんな明るい文章に昇華してしまうというのは才能としかいいようがない。そしてこの面白おかしく綴られたエッセイは、洋行を熱望しながらも果たせず、その当時死の床で病と闘っていた親友の正岡子規を励ますために作られたものなのだ。なんというか、芸術とはこうあるべきだよな〜と思う。寒くなってきたので移動し、センターでショッピング。服をいくつか買ってから帰宅。